安土桃山時代に見る法衣袈裟

室町時代が終わると、日本国内では戦国時代の安土桃山時代に移り変わります。

室町時代の滅亡から徳川幕府の成立までは半世紀程度と短い期間でしたが、僧服の技術が大幅に進んだ時代でもありました。

その背景にはイスパニアなどから様々な織物が交易でもたらされたことで、織物屋さんが扱う生地の種類も大幅に増えたことにあります。

キリスト教が伝来した後、キリスト教が禁令化されたことなどが合わさって、今で言う仏教が国教として再度持ち上げられたという経緯もあります。

戦と共に技術が移動した安土桃山時代

袈裟や法衣などにあたる僧服は一般的な市民と比べて高価な素材が使われたり、制作方法が複雑であったりしたため、堺を中心とした職人街の一部だけに職人も集中することになったのです。

西陣織で有名な職人団体には明からの技術が伝わったことによってさらに技術が進んでいくことになります。

各地に散っていた織工職人の一部には幕府に認められる権限などが与えられるようになるなど権威性の上昇と合わせて扱える織物素材にも触れる機会が増加していきます。

桃山時代文化のポルトガルやオランダなどとの交易が盛んになると、ビロードなどこれまで国内になかった織物生地が扱われるようになります。

国産の金による袈裟への影響

安土桃山時代には金の産出が日本国内において高まったことから、金襴や銀襴を使用した袈裟の需要が増えてくるようになり、輸入されてきたものだけではなく国内においての生産や技術保存が行われるに至ります。

現在では国内産の純金はほとんどが存在していませんが、豊臣秀吉の時代には大量の金が京都を中心に集まっており、いわゆる大判小判もその代表的なものです。

豊臣秀吉が亡くなる前には多くの技術が進歩したことから、キリスト教が禁令化して仏教がなかば国教となった時期にもこれらの技術は大いに生かされたといいます。

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