宗派に特徴を与えた鎌倉時代後期の法衣袈裟文化
鎌倉時代の新興各宗派、禅宗から始まったとされる臨済宗などは武家方面に地盤を固めていき、地方には曹洞宗は地方に伸びていくことで確固たる地盤が出来上がることになります。
その中での袈裟文化は今現在のものとほとんど変わらない法衣が成立したとされています。
さらに他の鎌倉時代から始まった各宗派としての特徴にも差が見えてくるようになります。
鎌倉時代には法衣の特徴化が進んでいく
浄土宗、日蓮宗は鎌倉時代頃から始まったとされる新しい宗派であり、少し前の時代に遡れば元は天台宗であるといいます。
この2つは禅宗の影響を受けて禅衣を取り入れていたのに対して、浄土真宗は禅衣の影響がなかったとされます。
法衣全体を3種に分けた「律衣」「教衣」「禅衣」と大別されることがありますが、これらが混在しながら形をつくっていくことになるのです。
天台宗、真言宗では教衣に律衣が含まれていたり、禅においては禅衣の中に律衣が混在していたり、浄土真宗においても禅衣と律衣が含まれていたりするのです。
日蓮宗では禅衣、教衣の混同が見られ、真宗では律衣がないといいます。
こういった宗派によって形の異なる法衣の文化は、国内仏教の広がりや影響を与えていた層によって分かれたとされる説があるのです。
絵巻物に残る僧侶の服装
平安時代末期から室町時代前期にかけては様々な絵巻物に僧侶の姿が描かれていると言われていますが、袈裟史において様々な史料と照らし合わせた井筒雅風氏によると、この頃の僧侶の服装には禅の系統が見当たらないそうです。
僧侶以外においても、金閣寺を建てた足利義満などは袈裟や法衣などを着用して描かれていることがありますが、これらの木像や画像は天台宗、もしくは真言宗の法衣を着用しており、禅衣は室町時代後期まで見られなくなると言われています。
参考出典:袈裟史 著者:井筒雅風