大袈裟の語源となった臨済宗の僧服
大げさな言い方などの使い方で知られる常用語になった「大げさ」という言葉は、鎌倉時代の禅宗がもとになっていると思います。
鎌倉時代に広まったのは「禅宗」は宗西というお坊さんが広めたとも言われており、この時代の服装、いわゆる袈裟や法衣はこれまでの時代とは異なったものとなっていました。
その変わった作り方とは、九条以上、二十五条までの大衣において非常に幅広く作られていたそうです。
直綴の衣袖が特別に大きかった臨済宗
臨済宗では当時、袈裟の主流が二十五条や九条袈裟を常に身に付けていたことから、大衣を常に着ていたことから、大袈裟とも表されることがあったそうです。
形状としては、人間の身長以上であり、元々は当時の宋から伝来していたものとも言われていますが、平安時代の間に輸入され、独自に日本国内において発展してきたのです。
このことから、物事に対して大きすぎることなどを表す言葉として「大袈裟」という言い方になったのだと言われています。
徐々に豪華さも加わる袈裟の装飾
この頃、金繍の織物が中国から輸入されてきており、この大きな袈裟にも金繍の豪華さが流用されていったのです。
従来、ここまでに広がっていた真言宗、天台宗が主流にしていた七条袈裟や糞掃衣などに比べると、大衣を主流としてさらに豪華になった臨済宗の袈裟は修多羅ではなく、飾り紐を主流にして象牙の飾りなどを用いることも始りました。
また、禅宗の伝来には絡子の伝来も同時に始まっており、禅宗によって袈裟の形状も大きく変わっていくことになるのです。