江戸時代に庇護された寺院制度と仏教文化
安土桃山時代には織田信長による比叡山焼き討ちなど、大きな権力と結びついた僧兵と大名との間に争いなどが起きたこともありますが、徳川幕府が開かれてからは寺院庇護が徳川幕府主導の元に統制されていきます。
歴史的な面で言えば良い、悪いの判断を一概に言えるものではありませんが、長期の安定性と鎖国制度によって約350年の平和が訪れたことによって、近代に使用されている袈裟の多くはこの時代には出来上がったものだと言われています。
僧官や僧位の代わりに統制されていく宗派
まず、幕府に庇護された仏教の立場は、僧侶に対して官位を与えたり勅許を待った上では、宗派の長となっていた人物、あるいはその周辺の高位にある僧侶には大きな権限が与えられています。
ただし、この時代はそこまで自由があったというわけでもなく、禁令となったキリスト教の裏返しのように、仏教においても新しい宗派の設立や新義異説は禁止されていたそうです。
しかし、唯一この期間において新しい宗派として輸入されたのが「黄檗宗」と言われる宗派でした。
明の時代に中国で発祥した後、宋の時代、元の時代を経て、徳川家綱の時代に要請を受けて日本に渡来し、万福寺の建立も幕府が行っています。
「黄檗宗」の袈裟は、法衣=袈裟という形式であり、現在の法衣は法服と呼ばれています。
簡略化された袈裟
ここまでの宗派では、いわゆる袈裟を簡略化して一般的にすることはほとんど見られませんでした。しかし、檀徒制度を採用したことによって、葬儀や法要などに着ていくための「袈裟」という色が強くなっていきます。
現代でいうところのTPOに合わせた服装の概念が袈裟に現れてきたということです。
法要など寺院に関わる儀式にはきらびやかな袈裟を使用して、その反面として僧侶の日常生活上では極めて簡素かつ簡略化されたものが用いられるようになります。
掛絡、大掛絡、絡子や威儀細など
現代の法衣袈裟に見られる上記のような袈裟は、江戸時代にでの簡略化を受けたものが現代へ伝わっているとされています。
また、現代では奈良袈裟と呼ばれる加行袈裟などもこの時代に出来上がったものだとされます。