日本が独自の仏教を築いた平安時代
奈良時代の仏教が唐からの教えに沿って国内に広まっていった後、平安時代へと時が進むと、国内の仏教も新しく天台宗、真言宗の2つが最澄と空海によって国内で勢力を広げていきます。
日本仏教の発展を目指した空海などは、唐へと渡った後に、本場の経典を持ち帰ることを目的とした厳しい旅を繰り返します。
唐ではすでに東西の文化によって僧服にはデザイン性が多く取り入れられた時代であったようです。
修多羅や横被などもこの頃から
この頃、袈裟の特徴としては七条袈裟において修多羅や横被が用いられるようになります。
行事のときには如法衣が相変わらず着用されており、袈裟の使い分けが徐々に現代に近づいてくるようになります。
また、空海が持ち帰ったとされる袈裟は東寺に現存しており、貴重な史料として知られています。
西暦800年から西暦1000年の間、200年間をかけて日本仏教は独立発展を遂げていきます。
これまでに使われることがほとんどなかった法衣の色としては、神道に基づいた「白」が使われるようになり、これらはのちに僧兵と呼ばれる人たちの被り物などにも流用されていきます。
発展と没落を超えて進歩する仏教
この当時、比叡山などの僧兵の横暴を嘆いた文章が残されていたりはしますが
一方で貴族社会だけに集中していた信仰の幅は庶民などにも広まるようになり、荘厳さや美しさを競うだけの貴族社会が生んだ芸術性と、信仰的な意味合いを強くする勢力との間で育っていく下積みの時代でもあったとされています。
また、これらの発展の裏には、もともと日本に根付いていた神道と唐から輸入した仏教文化が結びついたものであり、神道色が濃くなるに連れて、日本仏教が袈裟の着用方法や法衣の用いられ方にも繋がっていると言われています。